「多様性」。人間の価値観や行動が異なること、そして、それらの違いを認め合うことは、私たちが安心して豊かに生きるうえで大切なことです。しかし、多様性を確かなものとするためには、一人ひとりの「人権」の保障というもっと大切なことがあります。
人は、性別を問わず各々が優れた能力・才能を持ち、学力に差はありません。しかし、家事や育児などの負担が大きいために正規雇用の仕事を続けられない女性は多く、日本で管理職に就く女性は非常に少数です。このような昇進機会の性的格差は、賃金や経済力の格差へ直結しており、大きな社会的損失となっています。
女性の経済的・社会的地位の向上と社会の発展の関連性は国際社会でも広く認識されており、日本社会の解決策を考える必要があります。
同性のパートナーを愛し、一緒に生活するカップルは少なくありません。しかし日本では同性婚が認められておらず、配偶者としての社会保障上・税法上の待遇がない、パートナーが病気で手術等をするときに家族として同意ができないなど様々な不利益に直面します。
世界では29の国・地域が同性婚を認めており、同性パートナーシップ制度をもつ国も増えていますが、日本ではパートナーシップを認める自治体が一部あるものの、法律上の結婚はまだできません。
性的マイノリティを総称してLGBTと呼ぶことがあり、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)は性的指向が異性愛ではない人、トランスジェンダー(T)は性自認が身体の性とは異なる人です。民間団体の調査では、国内人口の8~10%は性的マイノリティとしています。
男女別の制服を義務づけることは、性自認が身体の性と異なる人にとって大きな苦痛になり得ます。マイノリティに配慮した制服はどのようにあるべきでしょうか。
日本では1945年に女性に参政権が付与されましたが、2021年1月現在、衆議院議員の女性割合は9.9%、参議院や地方政治でも同様に非常に低いままです。法律等を作る現場に女性が少ないと、少子化対策といった女性の声を反映すべき政策の政治的意思決定が専ら男性視点で行われてしまうことにつながります。皆が暮らしやすい社会を創っていくために、女性が法律や政策を決める政治プロセスへより多く参加できるようにする必要があります。
表現の自由は、日本を含む多くの国で憲法や法律によって認められ、特に手厚い保護を受ける人権と考えられています。それは、自分の考えを外部に表明することで人格を発展させられること(自己実現)と、自由な表現行為が民主主義国家の不可欠な基盤となること(自己統治)によるとされています。国際社会では、表現の自由は、様々な方法で、「国境とのかかわりなく」、あらゆる種類の考えを求め、受け、伝える自由であるとされています(自由権規約)。
多くの危険が伴う事件等の現場で取材をするジャーナリストがいて初めて、私たちはニュースに触れて現実を知ることができます。毎年、ジャーナリストが戦場で流れ弾に倒れたり、権力者に狙われて命を落としたりする例が後を絶ちませんが、日本では、危険に巻き込まれた彼らに対し「自己責任だ」と突き放したり批判したりする人々もいます。しかし、真実を追求し報道するジャーナリストの存在は民主主義社会には欠かせないものです。
インターネットの登場まで、社会に流通する情報の大部分は、印刷物やテレビなどのマスメディアによって送り出されてきました。その社会に与える影響の大きさから、国に検閲されたり、戦時中の日本では新聞を戦争宣伝に用い、新聞側が積極的に協力したこともありました。
社会が複雑化し、政府や大企業などが強大な権力をもつようになった今日、マスメディアは人々の「知る権利」に奉仕するために取材し報道する役割を果たすことが求められています。
インターネットの普及は、表現行為をめぐる個人の環境や社会状況に革命的な変化を与えました。今や既存のマスメディアに頼らずとも、個人はブログなどで自ら情報を、画像や映像も含め発信することができます。ツイッターなどのSNSで瞬時に情報を拡散することも可能です。しかし便利なツールは使い方次第では弊害も生じます。SNSにおけるヘイトスピーチやテロなど暴力行為の扇動に対しどのように対処するか、大きな世界的問題となっています。
2019年、「老後資金2000万円」が大きな話題となりました。「65歳と60歳の夫婦が仕事を引退し、年金のみで90歳を超えても安心して暮らすには、約2000万円の老後資金が必要」という国の報告書に、幅広い世代の人々が将来に不安を覚えたのです。資産格差とは、いわば「持てる者」と「持たざる者」の間に生ずる世代間・世代内の格差であり、「所得の格差」も引き起こし、私たちの生活や将来における機会と行動に大きな影響を与えます。
1991年~1993年の景気後退期以降、日本の経済成長率は長期低迷に陥り現在に至ります。その間、非正規雇用の増大、産業構造の変化、社会保障制度の見直しなど私たちの経済社会生活を取り巻く環境は激変し、所得格差が拡大しました。若年・中年層の所得格差の拡大は著しく、生活不安や老後不安から結婚・出産への躊躇、消費や購買の切り詰めなど、人生の将来展望をめぐる不平等が顕著となり、人権保障を脅かしうる重大な問題となっています。
医療費の公的支援など医療制度をめぐる政策により、医療機関の地域的偏在や患者の所得などに起因する医療の提供・利用をめぐる格差が問題視されています。医療制度が高齢社会の進展に対応できるよう変更されていくことに伴って、医療機関側では医療の不偏的提供が少なからぬ困難に直面する一方、患者側では「資産・所得の格差」が医療格差を通じて「健康の格差」を招き、私たちが安心して健康な生活を送ることを難しくすると考えられています。
家庭の社会経済的地位(親の収入など)のような「生まれ育ち」の環境条件が子どもの最終学歴や就職等を大きく左右するという事実があります。低所得世帯の子どもが十分な教育を受けられず、安定した職業に就けないことなどが問題の代表例です。新型コロナウイルスの出現から、家庭のオンライン環境等の違いによって教育格差もさらに拡大したのではないかという懸念もあります。教育格差は、世代を超えた持続的な貧困連鎖につながる深刻な問題です。
労働者の労働時間や休日に関するルールは労働基準法で定められています。時間外労働(残業)の上限は従来、労働者と使用者が協定で合意すれば事実上無制限でしたが、いわゆる「働き方改革」での改正で労働基準法による制限(上限)が初めて導入されました。しかし、仕事が原因で労働者が亡くなる場合の「過労死ライン」を労働時間と考えるとその上限も長すぎると批判されています。運輸や建設など上限規制の対象外とされてしまっている職種もあります。
最低賃金法に基づく労働者の最低賃金よりも低い賃金は違法とされています。最低賃金は、地域ごとの労働者の生計費などを考慮して定められ、生計費を考慮する際は、労働者が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができるよう、生活保護に関する施策とも整合性を確保することとされています。しかし、生活保護の基準額は国によって引き下げられることもあり、その合法性が裁判でも争われています。外国人労働者の低賃金も問題になっています。
会社が利益の増加を望むとすれば、「サービス残業」も厭わない労働者を歓迎するでしょう。しかし労働者はロボットではなく人間であり、働くためだけに生きているわけでもありません。適度に働き、健康を保てるだけの睡眠や休息をとり、家族との時間や趣味などを楽しむことも望みます。「サービス残業」という違法労働の予防など、すべての労働者が仕事と私生活のバランスがとれるよう、労働者の働き方が法制度によって保護されることは非常に大切です。
私たちが購入する洋服がどこで、誰が、どのような状況で作っているのか想像したことはあるでしょうか。2013年バングラデシュでの「ラナ・プラザ」ビルの崩壊事故では、著名ブランドの縫製工場で働く労働者ら1000人以上が亡くなりました。今着ている洋服が、人々が劣悪な環境で働かされた成果物かもしれません。ファッションを楽しむことの陰には企業活動による人権侵害が潜んでいる場合があり、そのような事態を予防し解決する必要があります。
ヒューマンライツ=「人権」とは、すべての人が有する普遍的権利であり、人間が尊厳ある存在であることに基づいて認められる基本的権利のことです。「基本的人権」などと呼ばれるものと同じ権利・概念であると捉えてもよいでしょう。人権の保障は、立憲民主主義各国の憲法が拠って立つ理念・目的であるだけでなく、国際社会で共有されている共通の価値でもあります。国連はその目的の一つとして人権尊重のための国際協力を掲げていますが、国連が1948年に採択した国際社会の人権章典「世界人権宣言」は当然のこと、2011年に採択した「ビジネスと人権に関する指導原則」などにも見られるように、人権は国内・国外を問わず人間のあらゆる活動の基本的価値として承認されています。
現代社会における人権をめぐる問題は多様化・複雑化しており、人権保障の基礎となる「法」を学ぶこと、人権問題を法的に分析し考察することの意義は増す一方となっています。人権の理念、そして、人権が国内法秩序においても国際社会においても共通の価値基準となっていることをふまえて、人権侵害行為を排除し救済する手段、また人権をより良く実現する手段としてどのような法制度が存在し機能しているのかを理解し、国家や国際機関、国内外の民間企業などで具体的なアクションにつなげていくことが求められています。
差別、貧困、暴力など、社会の中で起きている多様な人権問題を理解し解決していくためには、法学を学ぶだけでなく、より広い視点から多角的にアプローチしていくことも大切です。青山学院大学法学部ヒューマンライツ学科では、政治学、経済学、社会学、公共政策など、隣接の社会科学の分野の科目も設置し、人権にかかわる社会問題や制度を学際的に扱う能力を身につけます。
青山学院大学法学部ヒューマンライツ学科では、人権問題を可視化したドキュメンタリー映像による授業「ヒューマンライツの現場」のほか、実際に人権問題の現場に身をおいて考える「ヒューマンライツ・フィールドワーク」、省庁などの政策が立案・実施される現場に参加する「公共政策実習」、人権問題の現状を把握するためにデータの分析手法を学ぶ「社会調査論」などの授業で、現実の状況を分析する能力を身につけます。
青山学院大学法学部ヒューマンライツ学科では、人権問題と法の関係性について、諸外国・地域における課題や取り組みを英語で学ぶ授業のほか、諸外国・地域の文化や歴史を学ぶ授業、長期休暇を利用してアメリカ・イギリス・オーストラリア等の大学で学ぶ海外研修などを設置しています。日本国内だけに視点を絞ることなく、より広い視野から主体的、積極的に行動できる能力を身につけます。
※内容は予定であり、今後変更の可能性があります。
人は、性別を問わず各々が優れた能力・才能を持ち、学力に差はありません。しかし、家事や育児などの負担が大きいために正規雇用の仕事を続けられない女性は多く、日本で管理職に就く女性は非常に少数です。このような昇進機会の性的格差は、賃金や経済力の格差へ直結しており、大きな社会的損失となっています。
女性の経済的・社会的地位の向上と社会の発展の関連性は国際社会でも広く認識されており、日本社会の解決策を考える必要があります。
同性のパートナーを愛し、一緒に生活するカップルは少なくありません。しかし日本では同性婚が認められておらず、配偶者としての社会保障上・税法上の待遇がない、パートナーが病気で手術等をするときに家族として同意ができないなど様々な不利益に直面します。
世界では29の国・地域が同性婚を認めており、同性パートナーシップ制度をもつ国も増えていますが、日本ではパートナーシップを認める自治体が一部あるものの、法律上の結婚はまだできません。
性的マイノリティを総称してLGBTと呼ぶことがあり、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)は性的指向が異性愛ではない人、トランスジェンダー(T)は性自認が身体の性とは異なる人です。民間団体の調査では、国内人口の8~10%は性的マイノリティとしています。
男女別の制服を義務づけることは、性自認が身体の性と異なる人にとって大きな苦痛になり得ます。マイノリティに配慮した制服はどのようにあるべきでしょうか。
日本では1945年に女性に参政権が付与されましたが、2021年1月現在、衆議院議員の女性割合は9.9%、参議院や地方政治でも同様に非常に低いままです。法律等を作る現場に女性が少ないと、少子化対策といった女性の声を反映すべき政策の政治的意思決定が専ら男性視点で行われてしまうことにつながります。皆が暮らしやすい社会を創っていくために、女性が法律や政策を決める政治プロセスへより多く参加できるようにする必要があります。
表現の自由は、日本を含む多くの国で憲法や法律によって認められ、特に手厚い保護を受ける人権と考えられています。それは、自分の考えを外部に表明することで人格を発展させられること(自己実現)と、自由な表現行為が民主主義国家の不可欠な基盤となること(自己統治)によるとされています。国際社会では、表現の自由は、様々な方法で、「国境とのかかわりなく」、あらゆる種類の考えを求め、受け、伝える自由であるとされています(自由権規約)。
多くの危険が伴う事件等の現場で取材をするジャーナリストがいて初めて、私たちはニュースに触れて現実を知ることができます。毎年、ジャーナリストが戦場で流れ弾に倒れたり、権力者に狙われて命を落としたりする例が後を絶ちませんが、日本では、危険に巻き込まれた彼らに対し「自己責任だ」と突き放したり批判したりする人々もいます。しかし、真実を追求し報道するジャーナリストの存在は民主主義社会には欠かせないものです。
インターネットの登場まで、社会に流通する情報の大部分は、印刷物やテレビなどのマスメディアによって送り出されてきました。その社会に与える影響の大きさから、国に検閲されたり、戦時中の日本では新聞を戦争宣伝に用い、新聞側が積極的に協力したこともありました。
社会が複雑化し、政府や大企業などが強大な権力をもつようになった今日、マスメディアは人々の「知る権利」に奉仕するために取材し報道する役割を果たすことが求められています。
インターネットの普及は、表現行為をめぐる個人の環境や社会状況に革命的な変化を与えました。今や既存のマスメディアに頼らずとも、個人はブログなどで自ら情報を、画像や映像も含め発信することができます。ツイッターなどのSNSで瞬時に情報を拡散することも可能です。しかし便利なツールは使い方次第では弊害も生じます。SNSにおけるヘイトスピーチやテロなど暴力行為の扇動に対しどのように対処するか、大きな世界的問題となっています。
2019年、「老後資金2000万円」が大きな話題となりました。「65歳と60歳の夫婦が仕事を引退し、年金のみで90歳を超えても安心して暮らすには、約2000万円の老後資金が必要」という国の報告書に、幅広い世代の人々が将来に不安を覚えたのです。資産格差とは、いわば「持てる者」と「持たざる者」の間に生ずる世代間・世代内の格差であり、「所得の格差」も引き起こし、私たちの生活や将来における機会と行動に大きな影響を与えます。
1991年~1993年の景気後退期以降、日本の経済成長率は長期低迷に陥り現在に至ります。その間、非正規雇用の増大、産業構造の変化、社会保障制度の見直しなど私たちの経済社会生活を取り巻く環境は激変し、所得格差が拡大しました。若年・中年層の所得格差の拡大は著しく、生活不安や老後不安から結婚・出産への躊躇、消費や購買の切り詰めなど、人生の将来展望をめぐる不平等が顕著となり、人権保障を脅かしうる重大な問題となっています。
医療費の公的支援など医療制度をめぐる政策により、医療機関の地域的偏在や患者の所得などに起因する医療の提供・利用をめぐる格差が問題視されています。医療制度が高齢社会の進展に対応できるよう変更されていくことに伴って、医療機関側では医療の不偏的提供が少なからぬ困難に直面する一方、患者側では「資産・所得の格差」が医療格差を通じて「健康の格差」を招き、私たちが安心して健康な生活を送ることを難しくすると考えられています。
家庭の社会経済的地位(親の収入など)のような「生まれ育ち」の環境条件が子どもの最終学歴や就職等を大きく左右するという事実があります。低所得世帯の子どもが十分な教育を受けられず、安定した職業に就けないことなどが問題の代表例です。新型コロナウイルスの出現から、家庭のオンライン環境等の違いによって教育格差もさらに拡大したのではないかという懸念もあります。教育格差は、世代を超えた持続的な貧困連鎖につながる深刻な問題です。
労働者の労働時間や休日に関するルールは労働基準法で定められています。時間外労働(残業)の上限は従来、労働者と使用者が協定で合意すれば事実上無制限でしたが、いわゆる「働き方改革」での改正で労働基準法による制限(上限)が初めて導入されました。しかし、仕事が原因で労働者が亡くなる場合の「過労死ライン」を労働時間と考えるとその上限も長すぎると批判されています。運輸や建設など上限規制の対象外とされてしまっている職種もあります。
最低賃金法に基づく労働者の最低賃金よりも低い賃金は違法とされています。最低賃金は、地域ごとの労働者の生計費などを考慮して定められ、生計費を考慮する際は、労働者が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができるよう、生活保護に関する施策とも整合性を確保することとされています。しかし、生活保護の基準額は国によって引き下げられることもあり、その合法性が裁判でも争われています。外国人労働者の低賃金も問題になっています。
会社が利益の増加を望むとすれば、「サービス残業」も厭わない労働者を歓迎するでしょう。しかし労働者はロボットではなく人間であり、働くためだけに生きているわけでもありません。適度に働き、健康を保てるだけの睡眠や休息をとり、家族との時間や趣味などを楽しむことも望みます。「サービス残業」という違法労働の予防など、すべての労働者が仕事と私生活のバランスがとれるよう、労働者の働き方が法制度によって保護されることは非常に大切です。
私たちが購入する洋服がどこで、誰が、どのような状況で作っているのか想像したことはあるでしょうか。2013年バングラデシュでの「ラナ・プラザ」ビルの崩壊事故では、著名ブランドの縫製工場で働く労働者ら1000人以上が亡くなりました。今着ている洋服が、人々が劣悪な環境で働かされた成果物かもしれません。ファッションを楽しむことの陰には企業活動による人権侵害が潜んでいる場合があり、そのような事態を予防し解決する必要があります。